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※この記事は2015年当時を回想して、2017年8月に書かれたものです。可能な限り当時の手帳・メモ・書類などを参照し、正確な日付・数字を記録するよう心がけています。

2015年7月に37歳で乳がんで左乳房温存手術を受けました。
【乳がん体験回想】では、当時のことを時系列で記載していきます。

前回までの記事:
【乳がん体験回想1】しこり発見
【乳がん体験回想2】近所の検査施設で乳がん検診し、その場で紹介状を渡される
【乳がん体験回想3】行きつけの精神科で乳腺外科クリニックを紹介される
【乳がん体験回想4】乳腺外科かかりつけ医となるY先生と出会う
【乳がん体験回想5】実家で乳がん疑惑について伝える
【乳がん体験回想6】検査結果発表~乳がん確定
【乳がん体験回想7】実家に乳がん確定を知らせる
【乳がん体験回想8】怖い上司に乳がんが判明したことを伝える
【乳がん体験回想9】検査各種…高額医療費限度額の申請を忘れずに!
【乳がん体験回想10】「妊娠できる?」手術前説明にて親の内心を知る
【乳がん体験回想11】入院前夜。忙しくて準備できない!しかも不安だ!!
【乳がん体験回想12】いざ入院。翌日は人生初手術!※入院持ち物説明あり


****************
左乳房のビー玉大のしこりに気付いた私。
乳腺外科の診察を受けた結果、左乳房に「粘液がん」があるという診断が下り、手術を受けることになりました。
MRI検査やPET検査などを受け、診断から3週間後…いよいよ手術当日です。

手術前夜、22時ごろに眠りについた私は、夜中にいったん覚醒しました。

廊下は薄暗くなってはいますが、ナースステーションのほうからは明かりが漏れてきています。
「このままもう朝まで眠れないかな?」と頭の片隅で考えているうちに、再び眠りに落ちてゆき…

次に気づいたときは起床時刻の6時を過ぎており、検温に来た看護師さんに起こされました。

手術は朝9時から。
8時半には手術の立会人(※)として実家の母が来てくれる予定です。
(※手術中万一何かあった時に意思決定してもらうために、控室で待っていてもらう役目)

昨夜から絶食で、水を飲んでいいのも手術3時間前…つまり午前6時までだったので、もはや手術終了まで飲み食いは禁止です。
緊張しているのでそこまで空腹感は感じませんが、周囲から漂ってくる朝食の香りには、それなりに欲求を刺激されます。

手術当日~明日までは、いったんこの病室を引き上げることになるので、昨日広げたばかりの荷物を再び持ち運べるようにまとめておかなければなりません。
意外と慌ただしい朝になってしまいました。

8時半きっかりくらいに母が病室に来ました。

このころには緊張感に耐え兼ねた私が、すでに手術用の格好に着替えはじめていました。

病院で指定されたT字パンツ以外は裸の状態で、病院のレンタルセットの浴衣型のパジャマを着ます。
足元は、病院から支給された特別な靴下と言うか、きついサポーターのようなストッキングを履きます。これは、全身麻酔の手術中の血栓防止のためだそうです。
頭にはキャップみたいなものをかぶっていたような記憶があります。

ちょうどパンツを履きかえているときに、母が、ベッドを仕切っているカーテンから入ってきたので、ちょっと慌てました。(母のほうはお構いなし(笑))

母も私も、お互い緊張しているのは分かっているので、取り留めもない実家のご近所さんの噂話などをして時間をつぶしました。

9時少し前に、担当の看護士さんが呼びに来ました。

母と一緒に看護師さんにくっついて行って、病棟のあるフロアから手術室のあるフロアまで、徒歩でエレベータで移動しました。

手術室の入口は、ドラマでよく見かけるような銀色の大きな自動扉でした。

自動扉の向こうは廊下のようになっていて、廊下に沿って手術室が複数配置されているようでした。
なるほど、ドラマとかだと手術室って病院につき1つだけみたいな感じだけど、そりゃーこれだけ大きな病院なんだから、複数手術室が存在していて、同時並行でたくさんの患者さんを手術していかなくっちゃ、間に合わんわなあ…

自動扉の前には私たちのほかに、車いすの年配の方と付添いの看護師さんたちが呼ばれるのを待っていました。

その患者さんが呼ばれて自動扉の向こうに消え、しばらくしてから、再度自動扉が開き、私が呼ばれました。

母の付き添いはここまで。メガネを母に預け、「行ってきます^^」と努めて明るい表情で看護師さんとともに扉をくぐります。
メガネをはずしていたので母の表情は分かりませんが、たぶん、心配そうな顔をしていたと思われます。

自動扉が閉まりました。

途端に複数の笑顔の女性看護師さんに囲まれ、
「おはようございますー」
「担当看護師の○○です、よろしくおねがいしますー」
「同じく担当看護師の■■ですー」
「お名前を言ってくださいー」
「今日、どんな手術を受けるのか、ご自身の言葉でもう一回復唱してくれますかー」
…と立て続けに声をかけられます。

私は名前と、今日受ける予定の手術の内容を、執刀医でかかりつけ医のY先生から受けていた説明通りに暗誦します。

  「左乳房の部分切除と、部分切除で切り取ったあとに上腹部有茎脂肪弁法同時再建して、センチネルリンパ節生検を行うけど、もし手術中の診断で転移があった場合は先生にお任せする…っていう手術です」

「おおっ、カンペキ!」…と明るく看護師さんたちが盛り上げてくれます。

そのままの勢いで、近くの手術室の一つに連れて行かれます。
中には麻酔医の女医さんと、かかりつけ医で執刀医のY先生が待機していました。

手術室には、洋楽らしきポップなBGMが流れていました。

「おはようございます~」コアラ似の小柄なY先生は、いつもの柔和な感じで私を迎えてくれます。

麻酔医の女医先生とも慌ただしく自己紹介をし合った後、看護師さんたちが手際よく私を手術台に乗っけます。
そして素早くパジャマを脱がされてタオルをかけられ、手術台の上に横になります。

 看護士さんA「緊張してますか!?」

看護師さんの一人が明るく問いかけてきます。

 「めっちゃ緊張してます~(><;)」

入院前に渡された全身麻酔に関する説明書の「重篤な副作用」の項目を熟読してビビっている私が正直に答えると、Y先生がほっほと笑ったような気がしました。

 看護士さんB「先生は全身麻酔の経験、あります?」

別の看護師さんがY先生に話を振ります。もちろん、私の緊張感を和らげるためのフリです。

 Y先生「僕はありませんねぇ。お酒で酔っぱらって前後不覚になることはしょっちゅうですけどね^^」

 一同「ははは^^」

…とか和んできたところで、いよいよ全身麻酔です。

 麻酔医の女医先生「お薬、入れていきますよー。眠くなりますからねー」

 私「は、はい…(まだ緊張気味)」

腕か手の甲に麻酔の点滴の針が入った感触がありました。
麻酔医の先生は優しく私の腕をさすってくれていました。

「こんな美人の優しい先生に腕をさすられながらなら、このまま意識が戻らなくても悔いはないかも…」

…とか縁起でもないことを考えながら頭の中で数を数え…5つも数えないうちに、意識は途切れました。



夢も見ない熟睡から覚めた時のように、私の意識は急速に現実に戻ってきました。

看護師さんか先生が私の苗字を呼ぶのと、母が私の下の名前を呼ぶのが聞えました。

 私 「今、何時ー?」

意識が戻った、ということを伝えるために、私は思いついたことを口にしました。
母が正確な時刻をその時答えてくれましたが、具体的に何時だったかは覚えていません。(12時とか13時とかそれくらい)

 看護士さん「おっぱい、きれいに治ってますよ、安心してくださいね」

看護師さんのうちの一人が、そう声をかけてくれたことを覚えています。

メガネが無いので周囲の風景は良く見えませんが、そのまま車輪付きのベッド(ストレッチャー)で廊下を運ばれ、エレベーターに乗せられ、病棟のナースステーション横の特別な病室まで連れてこられたことが分かります。

病棟の看護師さん2人と母がそばにいるのが分かりました。

意識はそれなりにはっきりしているつもりでしたが、後から母に聞くと「もうろうとしているのに一生懸命会話しようとしている感じだった」ということでした。

母に、病室から持ってきてもらっていた荷物一式の置き場を確認し、メガネを手の届くところに置いてもらうようお願いしたことは覚えています。

 母 「また明日来るね。今日はゆっくり寝なさい」

 私 「はーい。でも、居たかったら居てくれてもいいのよ♪(←精一杯のギャグのつもりだった)」

 母 「(うるっ)(;;)」←娘の健気さwにこみ上げるものがあったらしい


手術中、気が気ではなかったという母は、涙もろくなっていたようです。
身体を大事にしないことは親不孝なのだと、ちょっとだけ分かった気がしました…

ちなみに後日母から聞いた話。

外科手術の終わった後には「執刀医が終わった手術の説明をし、場合によっては切り取った患部を立会人に見せる」という、生物学系以外の人には卒倒もの恒例行事があるらしいです。

母は、生前の父(母にとっての夫)の外科手術の後にそのイベントを体験済みなので、「またかー」くらいの感じで何の疑問もなく見てくれてみたいです。
その感想:

 母 「先生が見せてくれたあなたの乳がん、見た目80グラムくらいのお肉みたいな感じだったわ…」

 私 「…へ、へえ…(゚Д゚;)(さすが主婦、見た目でグラム数が分かるんだ…)」←そこかよ

 母 「あと、先生が、何回も『お乳が小さいから』って言ってたわよ(←悪気のない事実報告)」

 私 「…しょ、しょうがないもんっ…(><。)」←笑

…というような親子漫才な会話が交わせるようになったのはもう少し後の話で、手術当日のこの日は、無事に手術が終わったことを見届け、母は昼過ぎに帰宅していきました。

うとうとしていた私が次に覚醒したのは、Y先生が病室に現れた時です。

おそらく、私の同室のもう一人の方の手術も終え、今日の手術がすべて完了したところで、様子を見に来られたのでしょう。
このときの会話は正確には覚えていませんが、私を安心させることをいくつか言って、「次は○曜日に来るね」と言って去って行かれた記憶があります。

夕日が窓から入ってきてモロに顔に当たってきました。ロクに身動きもできないので、ナースコールして、カーテンを閉めてもらいました。

そう、このときの私の状態と言うのは、
右手の甲には点滴をさされ、
左手にはナースコールのブザーを持たされ、
おしりには尿管カテーテルをつけられ、
胸には心電図のコードにつながったシールが張られ、
両足には血栓防止の空気マッサージ器を取り付けられ…
…という、いかにも病人っぽい感じの色々な管につながれていて、自由に身動きができない状況でした。
酸素マスクは、意識が戻ってすぐに外してもらった)

手術直後の一夜のしんどさ、他の同病のみなさまのブログでも良く語られるところではありますが、私も、なかなかしんどい一夜を過ごしました。

まず、
寝返りが打てない
というのが非常につらく、動く範囲で身体を右に左に動かしてやり過ごしていたものの、明け方、ついに耐え兼ね、ナースコールして大きく姿勢を変えてもらいました。
このとき、手術した左側の上半身全体が強烈に痛みました。ただ、どこがどうして痛いのか、まで分析できるような余裕はありません。

「左のほうに体重がかかるとつらいので、右側が下になるような感じでお願いします…」とかろうじて希望を述べ、介助してもらってどうにか姿勢を変えることができました。

もう一つつらかったのは、とにかく暑かったこと。

看護師さんに頼んでどんどん冷房の設定温度を下げてもらいましたが、
夜中に回診で私の特別病室に入ってきた看護師さんが
「この部屋、寒くありませんか?!大丈夫ですか??」と慌てて聞いてきたほど、最終的にすごい低温になっていたようです。

(人によっては逆にものすごい悪寒に襲われるそうです)

朝が来るまでの、長かったこと長かったこと。

ウトウトしながら時々不快さで覚醒し、じっと我慢しているうちにまたウトウトする…というサイクルを繰り返しているうちに、ようやく7月の明け方の光が、病室に届いてきました。

NEXT→【乳がん体験回想14】手術から退院まで(入院は7泊8日)
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兄貴ファン or まるこ
性別:
女性
職業:
なんちゃってSE。社畜です…
趣味:
まったり週末ランニング
自己紹介:
学生時代にお勉強させられた英語とかドイツ語とかを活用して、欧州サッカーとかジャパニメーションとか海外オークションとかで、貴重な余暇を非生産的につぶします。
時折走り、まれに勉強します。
2015年夏、乳がん(ステージ1)発症しました。
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