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※この記事は2015年当時を回想して、2017年7月に書かれたものです。可能な限り当時の手帳・メモ・書類などを参照し、正確な日付・数字を記録するよう心がけています。


2015年7月に37歳で
乳がんで左乳房温存手術を受けました。
【乳がん体験回想】では、当時のことを時系列で記載していきます。

前回までの記事:
【乳がん体験回想1】しこり発見
【乳がん体験回想2】近所の検査施設で乳がん検診し、その場で紹介状を渡される
【乳がん体験回想3】行きつけの精神科で乳腺外科クリニックを紹介される
【乳がん体験回想4】乳腺外科かかりつけ医となるY先生と出会う
【乳がん体験回想5】実家で乳がん疑惑について伝える
【乳がん体験回想6】検査結果発表~乳がん確定
【乳がん体験回想7】実家に乳がん確定を知らせる
【乳がん体験回想8】怖い上司に乳がんが判明したことを伝える
【乳がん体験回想9】検査各種…高額医療費限度額の申請を忘れずに!
【乳がん体験回想10】「妊娠できる?」手術前説明にて親の内心を知る

****************

左乳房のビー玉大のしこりに気付いた私。
乳腺外科の診察を受けた結果、左乳房に「粘液がん」があるという診断が下り、手術を受けることになりました。
MRI検査やPET検査などを受けているうちに、あっという間に3週間が過ぎ、気付いたら手術の前週になっていました。

検査とかは段取り良く計画的に受けてきたけど、入院の持ち物の準備…全然できてない…(汗)
おまけにここにきて、手術への不安やら何やらが増殖してきました。

落ち着け、自分!




これまでの記事でも書いたように、私の場合、病名確定から入院までは3週間。
この間、6回ほど病院やかかりつけ医のところに検 査等で通い、当然そのための年休や半休はもらいましたが、出社しているときは普段通り深夜残業  ・休日出勤が当たり前の生活でした。 

余計な暇があるとネットで乳がんの情報を調べて不安になっていたので、まあ、それくらい忙しくしておいて良かったのかもしれません。

そうは言っても、不安は日に日に強まります。

私の場合、早期のがんである可能性が高かったので、かかりつけ医のY先生が言われるように、手術をはじめとする一連の標準治療を正しく行えば治るものだろうと頭では理解できていました。
(正確には治る、ではなく『寛解する』ですが)

「病気で死ぬかも」という漠然とした恐れもありましたが、 生死にかかわることで言うなら、病気で命を落とす可能性より、「手術で全身麻酔を受けて  二度と目が覚めないかも」という恐怖のほうがリアルでした。(麻酔医説明の説明書を熟読したりするから…) 

私が「病気で死ぬかも」という恐怖を最も募らせたのは、手術後から病理検査結果が出るくらいまでの間でした。
この期間は、検査や治療など自分から積極的に何かできるわけではなく、ひたすら待っている状態だったために、恐怖が増幅しやすかったのだと思います。

ということなので、治療期間中も、仕事や家事などできるだけ普段通りの生活を送るようにしたほうが、必要以上に病気のことを考えずに済み、心の安定上は絶対プラスになるよ、とお伝えしたいです。

ちなみにあとから話を聞くと、手術前のころは、実家の母親のほうが、私の死の可能性を思って強く恐れていたようです。
何しろ母は、配偶者(私から見て父)を、同じ「がん」と名のつく病気でつい数年前に失ったばかりでした。 (父と私とでは、「がん」言えども、患部の部位も進行度も全く違いますが)
「たった4人しかいない家族を、これ以上失いたくない」というのは、家庭を守る専業主婦として生きてきた母の強烈な思いだったようです。

母と同居している弟は「姉貴はフルマラソンとかで身体鍛えてるから、絶対大丈夫」という根拠があるんだか良く分からない信頼感でもって、母を励ましてくれていたようです。

手術への不安もさることながら、このころの私の最大の不安はもう少し別のところにありました。

『本当にちゃと数か月で治療が終わって、
 そのあと今まで通り一人前の戦力として社会で活動できるのか』

『治療の後、仕事含め、本当に今まで通りの生活が取り戻せるのだろうか』

…という不安です。

手術前検査で病院を訪れた時、(ひょうきんな)外科部長先生の問診を受けたあとで、ふと、私の口を突いて出た質問があります。

 私 「先生。私、仕事、続けられますよね?

 外科部長先生 「もちろん

先生は『ちょっと意外な質問を受けた』という軽い驚きの表情のあと、即座に肯定の答えをくれました。

今思えば、実にあたりまえの質問をしたのです。
早期の治療で仕事に復帰できないほどダメージを食らう  ということは、そんなに無いはずなのです。 そんなことは、ネットの情報やかかりつけ医の説明で、私だって頭では理解していたはずです。
でも、そんな質問がつい出てくるほど不安だったのでしょう。 


私は、ネタで社畜を名乗ることがありますが、決して仕事が好きなわけではありません。 むしろ、二言目には「やめたい」が口癖の時代が長かったほどです。(今は思ってても言わないだけ)

それでも、自分の意志ではない理由で仕事を手放さなければならないとしたら…

 そんなことは絶対にイヤだ!
 仕事を辞めるにしろどうなるにしろ、私は私の意志で人生を決めるのだ!
 病気に決められてたまるか!

…そんな心の底からの雄叫びが湧き上がってくるのでした。


 今までだって自分の力で人生を決めてきたのだ!
 今回だって、全部自力で乗り越えてみせる!!

…とも。

前回の記事で、妊娠・出産の可能性がこの病気のせいで実質ゼロになったことを書きました。
これについてもそれなりに強い感情は伴いましたが、仕事を続けられるかどうか関しては、それ 以上に強烈なこだわりが私の中で湧き起りました。

私が何を人生の優先事項としているか、図らずもあぶりだされた形となったわけです。

乳がんに限らず「がん」という病気は、こうやって自分の人生に深く向き合わされるものであるようです。

しかしまあ、いくら強烈な気持ちがあろうと人生と向き合っていようと、気持ちだけで、いつも通りの深夜残業・休日出勤の嵐の状態で仕事をしつつ、並行して入院という人生初イベントに臨む準備などできるはずもなく…


ある夜、実家と入院当日の待ち合わせ場所などをを電話で打ち合わせしているときに、何かがふっつりと 私の中で停止しました。
  
『もう、これ以上頑張れない…』

会話の途中で、急に言葉が途切れた私。
電話の向こうの母が、恐るべき洞察力を発揮して、私の様子がおかしい と察したようでした。  

 母 「入院の持ち物をそろえてる暇なんか、ないでしょう? 
    必要なものはそろえておいてあげるから、
    保険証だけ持って、入院の前日に実家(うち)に寄りなさい

 私 「…うん(;;)」  

必要に応じて他者を頼る、というのは治療生活を送る上で学ぶレッスンの一つです。私はそれをこの時に学び始めたということなのでしょう。
(本当は、自分から「助けて」と言えるのが理想)

このときは一応、入院前の2日間は休みを確保していたので、そこで一気に準備することは、理論上は可能ではありました。
しかし、入院と言うイレギュラーな事態に対して、要領のよい段取りを考えるエネルギーは、もはや私には残っていなかったのです。

結果として、長年入退院を繰り返していた父のそばにいた母は、ポイントをおさえた入院グッズを準備しておいてくれました。
最初から頼って、良かったのです。

そして入院直前、7月3連休前の最終出勤日。

まだ「全身麻酔で二度と戻れないかも」という恐怖を持っていた私は、退社前に、「入院でご迷惑おかけするので」という名目で周囲の同僚にお菓子を配っていました。
あまりこういうことする人はいないでしょうね(苦笑)

実務的なところでは、数日前に、上司たち、同僚たちには下記のようなメールをそれぞれ流しています:

■上司たちあてのメール

宛:部門長
同報:直属上司(カミナリ様)

医師から伝えられた、現時点での今後の見通しです。
・退院  →7/29ごろ
・出社可能→8/5ごろ

そのあと、通院治療期間5~6週間があります。(開始時期が判明するのは8月半ば以降)
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

休み中の連絡先は、下記のとおりです:
 TEL: 090-XXXX-XXXX
 E-mail: xxxxx@xxxx.xx.jp

入院先は都内で、退院後は出社可能になる直前まで、都内の実家に滞在予定です。
出社可能になったら、あるいは予定外の事態発生時には、ご連絡します。
よろしくお願いいたします。


■同僚たちあてのメール

私事(入院)により、下記期間、お休みいただきます。
大変ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いいたします。 
   開始:7/20  終了:8/5(予定)


…さあ、これでようやく治療に専念できます。
保険証と少しの着替えを持って、入院前日、実家へ向かいます。

NEXT→【乳がん体験回想12】いざ入院。翌日は人生初手術!※入院持ち物説明あり

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兄貴ファン or まるこ
性別:
女性
職業:
なんちゃってSE。社畜です…
趣味:
まったり週末ランニング
自己紹介:
学生時代にお勉強させられた英語とかドイツ語とかを活用して、欧州サッカーとかジャパニメーションとか海外オークションとかで、貴重な余暇を非生産的につぶします。
時折走り、まれに勉強します。
2015年夏、乳がん(ステージ1)発症しました。
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