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※初めての方は目次へどうぞ 

※この記事は2015年当時を回想して、2017年7月に書かれたものです。可能な限り当時の手帳・メモ・書類などを参照し、正確な日付・数字を記録するよう心がけています。


2015年7月に37歳で
乳がんで左乳房温存手術を受けました。
【乳がん体験回想】では、当時のことを時系列で記載していきます。

前回までの記事:
【乳がん体験回想1】しこり発見
【乳がん体験回想2】近所の検査施設で乳がん検診し、その場で紹介状を渡される
【乳がん体験回想3】行きつけの精神科で乳腺外科クリニックを紹介される
【乳がん体験回想4】乳腺外科かかりつけ医となるY先生と出会う
【乳がん体験回想5】実家で乳がん疑惑について伝える

****************

ある日、左乳房のビー玉大のしこりに気付いた私は、とあるご縁で、都内の乳腺外科専門クリニックのY先生の診察を受けることになりました。
しこりが乳がんか否かを判断するための穿刺吸引細胞診(せんしきゅういんさいぼうしん)いうややこしい名前の検査を受けた私。

いよいよ検査結果の分かる日がやってきました。



2015年6月30日火曜日。

この日は午後から夕方にかけて、職場では半年に一回の社内行事が企画されていました。
チームごとに、直近半年間のパフォーマンスを振り返り、次の半年のチームと個人の目標を立ててみんなの前で発表する…という、いかにも上の人たちが好きそうな行事です。

普段の私なら、筋金入りの中堅社畜戦士として、ノートPCを持ち込んで自分の仕事をやりつつ、適度に振り返りと目標策定に口を出して、それなりに要求されているアウトプットを出します。
当然、欠席するなどあり得ません。

が、この日の私は違います。

そんな上の人の自己満足の社内行事なんぞより、早く検査結果を聞いて、乳がん疑惑に白黒決着付けることが最優先事項です。

なにしろ、検査を受けてからこの日までの1週間、ことあるごとに胸のしこりに触れては大きさが全然変わらないことに落胆し、
「検査結果はどうかな」
「もし悪性だったら、どれくらい仕事に影響が出るんだろう」
「秋のプロジェクト立ち上げまでには治さないと社会人失格!」
…といった感じで、主に仕事への影響が見通せないイラだちでグルグルしていたのです。

当然、仕事での集中力にも悪影響が出ています。

結果がいいにしろ悪いにしろ、さっさと結論を聞いて、今後の見通しをつけなければ、もう一つの持病であるメンタルのほうにも悪影響が出かねません。
(※このころ仕事のストレスから、精神科で軽い安定剤を処方してもらってました)

なお、「このまま死んだらどうしよう」とかそういうことは、全く頭に上りませんでした。
ただただ「このままでは仕事が…」と、社畜としての使命を果たせなくなることについての心配ばかりしていました。

いやそれもどうなのよって話だけど、忙しすぎて、この時期に乳がんに関する情報をインターネット検索できる暇がなかったのは、メンタルヘルスをこれ以上悪化させない上で、幸いだったと今は思います。

さて、社内行事をすっ飛ばして午後半休を取った私は、予約した時刻きっかりに、Y先生の乳腺外科クリニックを訪れていました。

Y先生のクリニックは大盛況なので、この日も1時間以上は待ったでしょうか。
6月の長い日もだいぶ傾いてきたころ、ようやく診察室に呼ばれます。

診察室に入るとコアラ似のが柔和なY先生が、真剣な表情をしています。

「これは、悪い結果だ」

結果を聞く前に、そう直感しました。

前回のエコー画像と検査結果の画像(だったと思う)をモニターに映しながら、Y先生が説明をしていきます。

ガンが出ちゃってるね。少し石灰化もしてる」

これがいわゆる一大事のガン告知と言うやつですが、

『キタ━━━━(゜Д゜;)━━━━ッ!!』

…というのが、当時の私の率直な感想でした。

これだけ無茶な仕事の仕方をしているのだから、いつかは大きな病気をするだろう…という予感が前からあったのです。
(なお、過労と乳がん発症の因果関係は、医学的には証明されていません。どちらかというと私の場合、酒の飲みすぎが発症リスクを高めたと自分で思っている…)

しかし未知の事態すぎて、どう受け止めたらいいのかわかりません。
全く新しいプロジェクトに放り込まれて、いきなり会議に出ているときみたいな感覚です。
ここはひとつ、そういう時と同様、説明をとりあえず一通り聞いて、それから考えよう。

Y先生は検査結果の紙を差し出して、ゆっくりと説明を続けます。

検査結果の紙にはこう書かれていました。

臨床診断
 mucinousca or Fa
 2㎜大球状

細胞診成績

 クラス:V(5)

 CTコメント:
  malignant cell が集塊状に、mucin とともに出現しており、
  僅かの calcification もみられます。

 Drコメント:
  mucinous carcinoma



Y先生の解説:

『クラス』というのはガンかどうかを見る数字。
 1だったら良性。5だったら悪性
 がんの進行度を表す『ステージ』とは別物だからね。

 コメントのところを日本語にすると、
  『悪性細胞が、粘液と一緒に塊になっている』ということ。
  『わずかに石灰化もみられます』。
 病名は『粘液がん』。
 珍しいタイプのがんで、乳がん全体の3%くらいがこのタイプ。
 割とおとなしいタイプだからね」
 
Y先生は、紙に書いてあることをひとつひとつ丁寧に解説しながら、表面的には特に大きな反応を見せない私の顔色を、じっと見つめてきます。

たぶん、ショックのあまり呆然として反応ができていない、と思われていたのでしょうが、
私は、ほぼ初めて聞く医学用語の数々を脳内に叩き込むのに精いっぱいだったのです。

とりあえず私からは何の反応も質問もないとみると、Y先生は、具体的な治療方針の説明に入ります。

今度は、医学書からコピーしたと思われる、乳腺の構造(おっぱいの内部構造)を図解したA4の紙を渡されます。

Y先生曰く、

 ・左乳房の内側寄りの下部にある塊状のガンを、周辺の組織とともに扇状に切り取る、
  「部分切除」の手術を実施することになる

 ・粘液がんは、乳管を伝って見た目より広い範囲に広がっていることがあるから、
  どの範囲を切り取るかは、別の検査(MRIとか)で決めてから切る

 ・部分切除で切り取ったあとの隙間は、
  胸のすぐ下の上腹部の脂肪をグっと上に持ち上げる方法(※)で埋める
   ※これはY先生が編み出した得意の術式で「上腹部有茎脂肪弁法」と言うそうな
    「ブラジャーをつけるときに周囲のお肉を寄せるのと同じ原理」だそうです

 ・がんが身体の他の場所に転移していないか調べるため、
  脇の下のリンパ節をいくつか採取し、調べる(センチネルリンパ節生検

 ・センチネルリンパ節に転移が無ければ特にそのままだが、
  もし転移があれば、脇の下リンパ節すべてを取ることになる
  (幸い私の場合、転移はなかったので、リンパ節をそれ以上採ることにはなりませんでした)

 ・手術が終わった後は、放射線治療に25~30回通ってもらうことになる
  これは平日、毎日通わなければいけない

 ・がん治療には薬物療法(抗がん剤など)もあるが、
  粘液がんの場合は、がん細胞を粘液が守っていて薬が届かないため、薬物療法はやらない

そしてY先生は、未だに表面上は何の反応も示さない私の目をじっとみつめて、こう言ってくれました。

「大丈夫、きれいに治るから」

今思い出してみると、こんなにやさしく力強い言葉をかけてくれる先生で、本当によかったと思います。

ただ、当時私は、乳がんについてはピンクリボン運動などで「早期発見すれば治る病気」というイメージがあったので、ここに至ってもまだ、
ああ、ちょいと面倒なことになった。さっさと治療して片付けないと仕事が…」という100%社畜な思想に支配されていました。

乳がんは確かに早期発見すれば深刻な状態は回避できる病気です。
とはいえ、後で分かってきますが、そんなにお気軽お手軽ではないのが早期言えども「がん」という病気の厄介さなのです。

例えば今の私の場合、初期治療を終えたあとも10年間はタモキシフェンと言う薬を毎日飲まないといけません。そしてこの薬を飲んでいる限り、妊娠は原則不可である…という制約があります。
また、他のがん経験者同様「何年経っても再発の可能性は、決してゼロにはならない」という不安は今後ずっとついて回るわけです。

だから、ありきたりですが、健康はやはり大切にしないといけないものなのです。

そして一度なってしまった以上は、逃げずに自分の一部としてつきあう姿勢が求められてくるのです。(多少時間がかかりますが、治療を受けているうちに、徐々に腹も定まってくるで大丈夫です)

さて、病気と今後の治療方針についての説明を受けたあと、Y先生のクリニックと提携している病院でさらなる検査を受けるために、紹介状を書いてもらったり、病院に予約を入れたりしてもらいました。

ちなみにY先生は、自分のクリニックに来た患者を手術するときは、患者を提携している病院に入院させて、その病院内でY先生自身が手術する、というスタイルです。
放射線治療も、先生のクリニックに放射線治療の設備は無いので、提携している病院へ紹介状を書いて、患者には通ってもらうやり方です。

これが珍しいのか普通なのかはちょっとよく分かりませんが、外科手術が得意な先生と、手術や放射線治療設備の整った病院が協力し合うというのは、患者にとっては嬉しいやり方であるように思います。

Y先生「あとね、お金のことだけど『限度額適用認定証』っていうのがあって、
 これを病院窓口に見せると、1か月の負担額が最大で4~20万円くらいに抑えられるから。
 大体の人は8万円くらいだからね。会社の人に聞いて調べてみて」

私「そっか、そういうことも心配しないといけないんですね…」

お金の話になり、ようやく私にもついて行ける話題になりました。

私が反応らしい反応を示したことで、Y先生も少し安心?したようです。

Y先生「じゃあ、本の粘液がんのページのコピーもあげるね」

Y先生が、粘液がんについて記載されている専門書の白黒コピーを看護師さんに取らせて渡してくれます。
…うん、横書きで1段落がやたら長くて、ときどき横文字が本文に混じっている良く見かける理系の専門書です(笑)
ひっさびさに見たわこんなの。

この先生は、患者に必ず専門書のコピーを渡しているのだろうか?…という疑念がちょいと頭をもたげます。
こんなもん喜んで読むの、理系だけですぜ…?(笑)

↓文字つぶれてますが、専門用語のオンパレード…たぶん病理学の組織診断の専門書。
しかも白黒の本なのに、なぜかカラーコピーをいただいた(笑)
 

ともあれ、ありがたく頂戴はしておきました。
(そして結局熟読するのは私が素直な社畜系理系だからさ!)

初回に診察受けた時と同様、Y先生の医療系のノリに巻き込まれた私がそこにはいました(笑)

さあ、病名が確定したことで、具体的にアクションを起こしていくフェーズに入りました。
まずは実家、それから職場の必要な関係者に、このことを伝えなければなりません。

とりあえず、「検査結果をすぐ教える」という母との約束を果たすため、クリニックを出たその足で、実家に向かいます。
(「すぐに」ということだったが、さすがに電話で話すような内容ではないと判断したのです…)

NEXT→【乳がん体験回想7】実家に乳がん確定を知らせる
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自己紹介:
学生時代にお勉強させられた英語とかドイツ語とかを活用して、欧州サッカーとかジャパニメーションとか海外オークションとかで、貴重な余暇を非生産的につぶします。
時折走り、まれに勉強します。
2015年夏、乳がん(ステージ1)発症しました。
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