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「私」の概要
・37歳(診断確定時)
・独身、妊娠経験なし、一人暮らし
・システムエンジニア10数年目
・30代になってから晩酌を欠かさない(※放射線治療以降だいぶ減りました)
・趣味はジョギング
・やせ形
・たばこは吸わない
・2年前に父が別の進行がんで他界
「乳がん」の概要
・タイプ:粘液がん
・発症箇所:左乳房下部
・最大径:15x14㎜
(乳管をたどりその外側にも分布し、手術時切除範囲は60x40x17㎜)
・ステージ:1
・核グレード:1
・ホルモン受容体:陽性
・HER2受容体:陰性
・Ki-67:20.8%
治療の概要
・乳房温存手術+上腹部の脂肪を利用した同時再建
・放射線治療30回(全乳房照射25回+ブースト照射5回)
・ホルモン療法5年または10年(タモキシフェン服薬)※5年目の2020年で終了
治療時系列説明(タイムテーブル)
・2013/11/02(土)
自治体の乳がん検診(エコー)→異常なし
・2014年
引っ越しで自治体乳がん検診を受けず
(※職場の乳がん検診は平日の業務をつぶすので受けない、
という社畜思想)
・2015/06/15(月)
しこり発見(前回検診から1年7か月)
・2015/06/16(火)
自宅近くの検診センターへ乳がん検診予約
・2015/06/20(土)
検診センターでエコー検査
→その場で乳腺外科への紹介状(宛名無し)を渡される
・2015/06/22(月)
定期的に通っている心療内科・精神科(←SEは心病みがちな仕事…)で
「乳がんかもしれず、途方に暮れている」と相談する。
その場で、先生知り合いの乳腺外科クリニックを教えてもらい、電話予約
夕方、主治医となるY先生のクリニックを受診。
穿刺吸引細胞診を受ける
・2015/06/30(火)
細胞診の結果、「粘液がん」と診断される。
治療大方針として「乳房温存手術」と「放射線治療30回」を提示される。
手術前検査とPET検査の予約を、クリニック提携先病院に入れる。
※この日の帰り、実家に寄って「乳がん」である旨を伝える
・2015/07/01(水)
職場の直属上司に「乳がん」であり
「7月中に1~2週間手術のため休む」必要があり、
「退院後もしばらく通院が必要である」という内容を伝える。
→その数日後、部門長に同様の説明をする。部門長から人事部までは伝わった模様。
・このころ、遅まきながら主治医Y先生の著書を読んで、
「この先生になら任せられる」と手術への決意を新たにした。
・2015/07/09(木)
午前、クリニック提携先病院で、手術前検査。特に異常なし
MRI検査の予約と、手術日程の仮決定をする
午後、別の病院でPET検査
・2015/07/14(火)
手術が実施される病院で、MRI検査
・2015/07/17(金)
3連休明け入院目指して、ぎりぎりまで深夜残業の日々
・2015/07/21(火)
入院
・2015/07/22(水)
手術(9時~12時過ぎ)
「左乳房部分切除+センチネルリンパ節生検+上腹部有茎脂肪弁法による同時再生」
・2015/07/28(火)
退院
・2015/08/03(月)
手術後2週間で職場復帰(社畜よ…)
・このころ、病理検査結果がなかなか出ないことへの不安もあり、
乳がんの入門書や、他の人の乳がんブログ・体験記などをよく読んだ。
・2015/08/20(木)
病理検査結果がようやく出る。
今後ホルモン療法(5年~10年間)が必要であることを告げられる。
手術創が安定して、放射線治療が開始可能なことを告げられる。
→本来、Y先生クリニック提携の病院で放射線治療を受けるのだが、
自宅・会社最寄りの大学病院あてに放射線治療のための紹介状を
書いてもらう。
・2015/08/23(月)
電話予約が取れなかったので、紹介状を携え大学病院へ
ノーアポで乗り込む。
時間はかかったものの、親切に放射線科に回してもらえた。
・2015/08/25(火)
ホルモン療法のタモキシフェン、服薬開始。
(※ここに至るまでで、処方箋が有効なのは4日間だと初めて知った…)
・2015/09/01(火)
放射線治療開始前の説明とシミュレーション
(放射線を当てる場所をマジックで身体に描く作業)
放射線治療30回分の予約時間が一覧で渡されたので、
職場に9~10月の遅刻早退予定をこと細かく報告し、部門長の了承を得る。
・2015/09/03(木)
通勤しながら放射線治療開始
・2015/09
タモキシフェン服用1か月目で、早くも生理不順の副作用あり。
(逆に言うとその程度。今のところ)
・2015/10/16(金)
手術後3か月経過。
主治医Y先生から、通常のブラジャーの着用許可を得る。
(それまではブラトップ付きキャミソールを着用)
・2015/10/19(月)
30回の放射線治療終了
→特に大きな副作用は無し。仕事への支障もどうにか許容範囲。
初期治療はいったん終わり、以後しばらくは1~3か月の定期的な経過観察と、日々のホルモン療法薬服薬が治療内容になります。
※追記:2020年、服用開始5年目でタモキシフェン投薬が終了になりました。
「私」の概要
・37歳(診断確定時)
・独身、妊娠経験なし、一人暮らし
・システムエンジニア10数年目
・30代になってから晩酌を欠かさない(※放射線治療以降だいぶ減りました)
・趣味はジョギング
・やせ形
・たばこは吸わない
・2年前に父が別の進行がんで他界
「乳がん」の概要
・タイプ:粘液がん
・発症箇所:左乳房下部
・最大径:15x14㎜
(乳管をたどりその外側にも分布し、手術時切除範囲は60x40x17㎜)
・ステージ:1
・核グレード:1
・ホルモン受容体:陽性
・HER2受容体:陰性
・Ki-67:20.8%
治療の概要
・乳房温存手術+上腹部の脂肪を利用した同時再建
・放射線治療30回(全乳房照射25回+ブースト照射5回)
・ホルモン療法5年または10年(タモキシフェン服薬)※5年目の2020年で終了
治療時系列説明(タイムテーブル)
・2013/11/02(土)
自治体の乳がん検診(エコー)→異常なし
・2014年
引っ越しで自治体乳がん検診を受けず
(※職場の乳がん検診は平日の業務をつぶすので受けない、
という社畜思想)
・2015/06/15(月)
しこり発見(前回検診から1年7か月)
・2015/06/16(火)
自宅近くの検診センターへ乳がん検診予約
・2015/06/20(土)
検診センターでエコー検査
→その場で乳腺外科への紹介状(宛名無し)を渡される
・2015/06/22(月)
定期的に通っている心療内科・精神科(←SEは心病みがちな仕事…)で
「乳がんかもしれず、途方に暮れている」と相談する。
その場で、先生知り合いの乳腺外科クリニックを教えてもらい、電話予約
夕方、主治医となるY先生のクリニックを受診。
穿刺吸引細胞診を受ける
・2015/06/30(火)
細胞診の結果、「粘液がん」と診断される。
治療大方針として「乳房温存手術」と「放射線治療30回」を提示される。
手術前検査とPET検査の予約を、クリニック提携先病院に入れる。
※この日の帰り、実家に寄って「乳がん」である旨を伝える
・2015/07/01(水)
職場の直属上司に「乳がん」であり
「7月中に1~2週間手術のため休む」必要があり、
「退院後もしばらく通院が必要である」という内容を伝える。
→その数日後、部門長に同様の説明をする。部門長から人事部までは伝わった模様。
・このころ、遅まきながら主治医Y先生の著書を読んで、
「この先生になら任せられる」と手術への決意を新たにした。
・2015/07/09(木)
午前、クリニック提携先病院で、手術前検査。特に異常なし
MRI検査の予約と、手術日程の仮決定をする
午後、別の病院でPET検査
・2015/07/14(火)
手術が実施される病院で、MRI検査
・2015/07/17(金)
3連休明け入院目指して、ぎりぎりまで深夜残業の日々
・2015/07/21(火)
入院
・2015/07/22(水)
手術(9時~12時過ぎ)
「左乳房部分切除+センチネルリンパ節生検+上腹部有茎脂肪弁法による同時再生」
・2015/07/28(火)
退院
・2015/08/03(月)
手術後2週間で職場復帰(社畜よ…)
・このころ、病理検査結果がなかなか出ないことへの不安もあり、
乳がんの入門書や、他の人の乳がんブログ・体験記などをよく読んだ。
・2015/08/20(木)
病理検査結果がようやく出る。
今後ホルモン療法(5年~10年間)が必要であることを告げられる。
手術創が安定して、放射線治療が開始可能なことを告げられる。
→本来、Y先生クリニック提携の病院で放射線治療を受けるのだが、
自宅・会社最寄りの大学病院あてに放射線治療のための紹介状を
書いてもらう。
・2015/08/23(月)
電話予約が取れなかったので、紹介状を携え大学病院へ
ノーアポで乗り込む。
時間はかかったものの、親切に放射線科に回してもらえた。
・2015/08/25(火)
ホルモン療法のタモキシフェン、服薬開始。
(※ここに至るまでで、処方箋が有効なのは4日間だと初めて知った…)
・2015/09/01(火)
放射線治療開始前の説明とシミュレーション
(放射線を当てる場所をマジックで身体に描く作業)
放射線治療30回分の予約時間が一覧で渡されたので、
職場に9~10月の遅刻早退予定をこと細かく報告し、部門長の了承を得る。
・2015/09/03(木)
通勤しながら放射線治療開始
・2015/09
タモキシフェン服用1か月目で、早くも生理不順の副作用あり。
(逆に言うとその程度。今のところ)
・2015/10/16(金)
手術後3か月経過。
主治医Y先生から、通常のブラジャーの着用許可を得る。
(それまではブラトップ付きキャミソールを着用)
・2015/10/19(月)
30回の放射線治療終了
→特に大きな副作用は無し。仕事への支障もどうにか許容範囲。
初期治療はいったん終わり、以後しばらくは1~3か月の定期的な経過観察と、日々のホルモン療法薬服薬が治療内容になります。
※追記:2020年、服用開始5年目でタモキシフェン投薬が終了になりました。
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プロフィール
HN:
兄貴ファン or まるこ
性別:
女性
職業:
なんちゃってSE。社畜です…
趣味:
まったり週末ランニング
自己紹介:
学生時代にお勉強させられた英語とかドイツ語とかを活用して、欧州サッカーとかジャパニメーションとか海外オークションとかで、貴重な余暇を非生産的につぶします。
時折走り、まれに勉強します。
2015年夏、乳がん(ステージ1)発症しました。
時折走り、まれに勉強します。
2015年夏、乳がん(ステージ1)発症しました。
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