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ドイツ語版タイトルは、
#200 Der erste Highschool-Tag
※ドイツ語版の訳は、英語版よりさらに精度が低いですorz
他国語版の台詞一つ一つが、必ずしもオリジナルの直訳ではない、という良い例。
1.通学シーン
悟飯:「のんびりしすぎたかなあ…。(周囲を見渡して)よし!(と言って猛スピードで走り出す)」
→悟飯:「もう随分遅いや、遅刻したくなかったらもっと早くするべきだったよ…。誰も見ていないな。よし!」
2.銀行強盗現場を発見したシーン
悟飯:「しょうがないなあ、この町は…」
→悟飯:「もう遅刻してるのは分かっているけど、見過ごせないよなあ」
(英語版:「またか! キリがないよ」)
3.ビーデルと通行人の会話
通行人:「ビーデル様、~」、「あなたが~」、敬語
ビーデル:タメ口
→通行人:"Du"(親称)
ビーデル:"Sie"(敬称)
4.授業中の雑談
イレーザ:「ジェットフライヤーだって5時間はかかる距離よ」
悟飯:「だから時間がかかっちゃって大変なんですよ…。しまった…」
→イレーザ:「いったいどうやって来てるのよ」
悟飯:「叔父さんが個人飛行機持ってるんだ。毎朝毎夕送り迎えしてくれるんだ」
5.体育の授業(1)
体育教師:「すごいね、君。今、8メートルくらいジャンプしたんじゃないかね?」
悟飯:「まぐれですよ」
→体育教師:「8メートルも飛ぶなんて、どんな仕掛けを使ったのか、説明してくれないかい?」
悟飯:「見当もつきません。滅多に成功しないんで」
6.体育の授業(2)
(悟飯のダブルプレーのシーンで)
審判役の生徒:「スリーアウト、チェンジ!」
→審判役の生徒:「ビーデルのチームに1点!」
7.下校シーン(1)
(下校時、車に乗っけてくれというイレーザに対し)
悟飯:「すみません、僕の車、ひとり乗りなんです」
シャプナー:「(悟飯に対し)引っ越せばいいじゃないか」
悟飯:「それがその…」
→悟飯:「そうしたいのはやまやまなんですが、僕の飛行機、二人は乗れないんです」
シャプナー:「学校のそばに引っ越してくれば、クラブにも入れるだろう?」
悟飯:「それは両親が心配しますから」
8.下校シーン(2)
悟飯がビルに飛び上がって、尾行するビーデルをまくシーン
ビーデル:「あれ…? 」
→ビーデル:「あれ…? 消えちゃった…」
文化的背景の考察
・すべての行動には理由がある! 心理・状況説明的な台詞が多数。
1,2,4,8を見てもらえば分かるが、とにかく、説明的な台詞が多い。
そんなもん、画像を見たり、前後の文脈で分かるよー、と言いたくなるような「お約束」の状況であっても、とりあえず「その行為や発言に至った経緯」を、言語化している。
…これをゲルマンの国民性と断言したいのだが、やっぱり偏見??
<と反語で同意を求める私はやはり、表面上だけでも摩擦を避けたがるヤマト民族w
・野球は欧州では非常にマイナー。
英語版…つまりにアメリカ版では6とその前後のシーンは、オリジナルに近い台詞回しが使用されている。
日米の視聴者には、野球/ベースボールの基礎知識を前提条件として期待できるのだ。
しかし!
「子供に一番人気のあるスポーツ=サッカー」という欧州において、この前提は通用しない。
スタッフ視聴者に期待できる前提知識は、せいぜい「ルールは良く分からないけど、『ベースボール』という球技があって、2チームで対戦して、点の取り合いで勝敗が決まる」という程度の球技一般の常識なわけだ。
それにそもそも、スタッフが野球と言う球技を正しく理解しているとも思えない。
ここで野球のルールを説明してこそゲルマン的だと思わなくもないけど、さすがにそこまでやらなかった模様。
恐らくドイツ語版スタッフは、ここで視聴者に伝えるべきは「悟飯は、その常人ならざる力によって、チームの勝利に貢献した」という状況であり、厳密な野球のルールではない、と判断したんだろうね。
だから、このように、厳密なルール的には不自然な台詞回しになったと推測できます。
スポーツ文化の面では、我が国は、欧州よりアメリカにより近い、という話ですよ。
(確かに、サッカーの日本代表海外組の話題より、メジャーリーグ日本人選手の話題のほうが、より広い層にウケるよね)
…と、アメリカへの親近感をにおわせつつ、以下は反※的ともいえる分析が続くが(笑)
・会話とは、質疑応答である?!
4や7を見る限り、ゲルマン民族の間では、高校の級友同士という利害関係のない関係であっても、「誤魔化し」という会話のテクニックは一切通用しないようだ。
英語版ですら、「長時間の通学をいとわないほど、勉強熱心なのだ」と自分の正当性を主張する、というはぐらかしの技法を使用しているというのに、4にみられる、ドイツ語版の正直さはなんだ。
(7のほうの英語版は、英語版特有の別の要素に活用されているため、比較不可→詳細はこちら)
文面どおり受け取れば「通学時間の異様な長さに対しての対処法」を問うているのイレーザの質問に対し、ドイツ語版はずばりその「対処法」を正面から答えている。
そこまで真っ正直に、具体的な通学方法を公開しなくてもいいぢゃん?!とか思うのだが。
うまく説明できないけど、ゲルマンちっくでイイ!(・∀・) とか思いましたw
・疑問は納得行くまで問いただせ!?
5の体育教師の台詞に注目。
英語版では、体育教師はとりあえず不可思議現象には目をつぶって、生徒のアメイジングなパフォーマンスを、手放しで褒めている。
が、このドイツ語版では、納得行かないことは、とりあえず追及している。
上記のイレーザとの質疑応答にも通じる現象ですな。
アメリカは、人口がでかい上、他民族とは言えある程度共通のタテマエ(自由・正義・平等・民主主義・America as NO1)―いわば幻想―を共有し、他国家と直接を国境を接していないがゆえに身内だけで世界が完結しがちだ。
しかし欧州諸国は、一般的に、タテマエすら共有できないような文化・宗教・言語の異なる他国と国境接し、慎重に、最大公約数で現実的に受け入れてもらえる身の処し方をさぐって生き延びなければいけないのですよ。
つまり、アメリカは比較的分かりやすいのに対し、欧州情勢は非常に割り切れない。
以下、いきなり地球規模の国際関係論に飛んでみるw
多分、欧州にせよアジアにせよアフリカにせよアラブ諸国にせよ(ごめん、南米は分からない)、「お互い共通の背景が容易に見つからない中で、共存していく道を探すのが最大公約数のハッピー」である状況は同じ。
で、アジアor世界の中の日本って、アメリカとドイツの比較でいったら、どちらかと言うと、ドイツのように、中規模国として欧州みたいなフクザツな状況を乗り切らなきゃいけない状況におかれてる。
アメリカみたいに、国民共通の理念を、だいぶ盲目的に信じて、国家が一丸となって突っ走る空気では、ないよね。
(表面上信じているフリをしつつ、本音とタテマエを細かく使い分けるのが、個の中で確立された理念ではなく、他者との和を尊ぶヤマト民族。だと30年の人生で思っている)
超大国アメリカの「自分の信じるもの≒各種シンプルな理屈=ワールドスタンダード」とは決して勘違いせず、かつ、極東のある程度の範囲で通用する曖昧なグレーゾーンで誤魔化す文化がすべての人類に通用するとは思わないことが、このエピソードから読み取れるカンジ。
・最後、オトナ対コドモの非対称性
3です。
オリジナル版では、ビーデルのほうが通行人より高い立場に、相対的にあるような雰囲気が読み取れる。
英語版では、ビーデルがに高いところからものを言っている雰囲気もあるけど(動詞一語の命令形を使っている)、基本的にフラットな関係。
そしてこのドイツ語版では、見事に、通行人>ビーデルという立場関係が読み取れるような台詞回しになっている。
ま、オリジナル語版では、ビーデルがサタンの娘というだけでなく、町の超有名人である&気の強い性格であることを演出するため、あえてこういう台詞回しをさせているんだろうけど、ドイツ語版スタッフには、それが通用しなかったらしい(笑)
コドモはあくまでコドモ。
一般的に12年生(18歳)まで行くと、先生方も生徒を「Sie」という敬称で呼ぶ=大人扱いし始めるわけだけど、このときビーデルや悟飯は、まだ17歳という設定。
ドイツ語版スタッフの常識では、まだまだ「du」扱いされる年齢、という認識なんですね。
(※セルゲーム編で1日精神と時の部屋に入っていた悟飯は、肉体年齢は18歳になっているはずだけど、とりあえずそれは考慮しない)
#200 Der erste Highschool-Tag
※ドイツ語版の訳は、英語版よりさらに精度が低いですorz
他国語版の台詞一つ一つが、必ずしもオリジナルの直訳ではない、という良い例。
1.通学シーン
悟飯:「のんびりしすぎたかなあ…。(周囲を見渡して)よし!(と言って猛スピードで走り出す)」
→悟飯:「もう随分遅いや、遅刻したくなかったらもっと早くするべきだったよ…。誰も見ていないな。よし!」
2.銀行強盗現場を発見したシーン
悟飯:「しょうがないなあ、この町は…」
→悟飯:「もう遅刻してるのは分かっているけど、見過ごせないよなあ」
(英語版:「またか! キリがないよ」)
3.ビーデルと通行人の会話
通行人:「ビーデル様、~」、「あなたが~」、敬語
ビーデル:タメ口
→通行人:"Du"(親称)
ビーデル:"Sie"(敬称)
4.授業中の雑談
イレーザ:「ジェットフライヤーだって5時間はかかる距離よ」
悟飯:「だから時間がかかっちゃって大変なんですよ…。しまった…」
→イレーザ:「いったいどうやって来てるのよ」
悟飯:「叔父さんが個人飛行機持ってるんだ。毎朝毎夕送り迎えしてくれるんだ」
5.体育の授業(1)
体育教師:「すごいね、君。今、8メートルくらいジャンプしたんじゃないかね?」
悟飯:「まぐれですよ」
→体育教師:「8メートルも飛ぶなんて、どんな仕掛けを使ったのか、説明してくれないかい?」
悟飯:「見当もつきません。滅多に成功しないんで」
6.体育の授業(2)
(悟飯のダブルプレーのシーンで)
審判役の生徒:「スリーアウト、チェンジ!」
→審判役の生徒:「ビーデルのチームに1点!」
7.下校シーン(1)
(下校時、車に乗っけてくれというイレーザに対し)
悟飯:「すみません、僕の車、ひとり乗りなんです」
シャプナー:「(悟飯に対し)引っ越せばいいじゃないか」
悟飯:「それがその…」
→悟飯:「そうしたいのはやまやまなんですが、僕の飛行機、二人は乗れないんです」
シャプナー:「学校のそばに引っ越してくれば、クラブにも入れるだろう?」
悟飯:「それは両親が心配しますから」
8.下校シーン(2)
悟飯がビルに飛び上がって、尾行するビーデルをまくシーン
ビーデル:「あれ…? 」
→ビーデル:「あれ…? 消えちゃった…」
文化的背景の考察
・すべての行動には理由がある! 心理・状況説明的な台詞が多数。
1,2,4,8を見てもらえば分かるが、とにかく、説明的な台詞が多い。
そんなもん、画像を見たり、前後の文脈で分かるよー、と言いたくなるような「お約束」の状況であっても、とりあえず「その行為や発言に至った経緯」を、言語化している。
…これをゲルマンの国民性と断言したいのだが、やっぱり偏見??
<と反語で同意を求める私はやはり、表面上だけでも摩擦を避けたがるヤマト民族w
・野球は欧州では非常にマイナー。
英語版…つまりにアメリカ版では6とその前後のシーンは、オリジナルに近い台詞回しが使用されている。
日米の視聴者には、野球/ベースボールの基礎知識を前提条件として期待できるのだ。
しかし!
「子供に一番人気のあるスポーツ=サッカー」という欧州において、この前提は通用しない。
スタッフ視聴者に期待できる前提知識は、せいぜい「ルールは良く分からないけど、『ベースボール』という球技があって、2チームで対戦して、点の取り合いで勝敗が決まる」という程度の球技一般の常識なわけだ。
それにそもそも、スタッフが野球と言う球技を正しく理解しているとも思えない。
ここで野球のルールを説明してこそゲルマン的だと思わなくもないけど、さすがにそこまでやらなかった模様。
恐らくドイツ語版スタッフは、ここで視聴者に伝えるべきは「悟飯は、その常人ならざる力によって、チームの勝利に貢献した」という状況であり、厳密な野球のルールではない、と判断したんだろうね。
だから、このように、厳密なルール的には不自然な台詞回しになったと推測できます。
スポーツ文化の面では、我が国は、欧州よりアメリカにより近い、という話ですよ。
(確かに、サッカーの日本代表海外組の話題より、メジャーリーグ日本人選手の話題のほうが、より広い層にウケるよね)
…と、アメリカへの親近感をにおわせつつ、以下は反※的ともいえる分析が続くが(笑)
・会話とは、質疑応答である?!
4や7を見る限り、ゲルマン民族の間では、高校の級友同士という利害関係のない関係であっても、「誤魔化し」という会話のテクニックは一切通用しないようだ。
英語版ですら、「長時間の通学をいとわないほど、勉強熱心なのだ」と自分の正当性を主張する、というはぐらかしの技法を使用しているというのに、4にみられる、ドイツ語版の正直さはなんだ。
(7のほうの英語版は、英語版特有の別の要素に活用されているため、比較不可→詳細はこちら)
文面どおり受け取れば「通学時間の異様な長さに対しての対処法」を問うているのイレーザの質問に対し、ドイツ語版はずばりその「対処法」を正面から答えている。
そこまで真っ正直に、具体的な通学方法を公開しなくてもいいぢゃん?!とか思うのだが。
うまく説明できないけど、ゲルマンちっくでイイ!(・∀・) とか思いましたw
・疑問は納得行くまで問いただせ!?
5の体育教師の台詞に注目。
英語版では、体育教師はとりあえず不可思議現象には目をつぶって、生徒のアメイジングなパフォーマンスを、手放しで褒めている。
が、このドイツ語版では、納得行かないことは、とりあえず追及している。
上記のイレーザとの質疑応答にも通じる現象ですな。
アメリカは、人口がでかい上、他民族とは言えある程度共通のタテマエ(自由・正義・平等・民主主義・America as NO1)―いわば幻想―を共有し、他国家と直接を国境を接していないがゆえに身内だけで世界が完結しがちだ。
しかし欧州諸国は、一般的に、タテマエすら共有できないような文化・宗教・言語の異なる他国と国境接し、慎重に、最大公約数で現実的に受け入れてもらえる身の処し方をさぐって生き延びなければいけないのですよ。
つまり、アメリカは比較的分かりやすいのに対し、欧州情勢は非常に割り切れない。
以下、いきなり地球規模の国際関係論に飛んでみるw
多分、欧州にせよアジアにせよアフリカにせよアラブ諸国にせよ(ごめん、南米は分からない)、「お互い共通の背景が容易に見つからない中で、共存していく道を探すのが最大公約数のハッピー」である状況は同じ。
で、アジアor世界の中の日本って、アメリカとドイツの比較でいったら、どちらかと言うと、ドイツのように、中規模国として欧州みたいなフクザツな状況を乗り切らなきゃいけない状況におかれてる。
アメリカみたいに、国民共通の理念を、だいぶ盲目的に信じて、国家が一丸となって突っ走る空気では、ないよね。
(表面上信じているフリをしつつ、本音とタテマエを細かく使い分けるのが、個の中で確立された理念ではなく、他者との和を尊ぶヤマト民族。だと30年の人生で思っている)
超大国アメリカの「自分の信じるもの≒各種シンプルな理屈=ワールドスタンダード」とは決して勘違いせず、かつ、極東のある程度の範囲で通用する曖昧なグレーゾーンで誤魔化す文化がすべての人類に通用するとは思わないことが、このエピソードから読み取れるカンジ。
・最後、オトナ対コドモの非対称性
3です。
オリジナル版では、ビーデルのほうが通行人より高い立場に、相対的にあるような雰囲気が読み取れる。
英語版では、ビーデルがに高いところからものを言っている雰囲気もあるけど(動詞一語の命令形を使っている)、基本的にフラットな関係。
そしてこのドイツ語版では、見事に、通行人>ビーデルという立場関係が読み取れるような台詞回しになっている。
ま、オリジナル語版では、ビーデルがサタンの娘というだけでなく、町の超有名人である&気の強い性格であることを演出するため、あえてこういう台詞回しをさせているんだろうけど、ドイツ語版スタッフには、それが通用しなかったらしい(笑)
コドモはあくまでコドモ。
一般的に12年生(18歳)まで行くと、先生方も生徒を「Sie」という敬称で呼ぶ=大人扱いし始めるわけだけど、このときビーデルや悟飯は、まだ17歳という設定。
ドイツ語版スタッフの常識では、まだまだ「du」扱いされる年齢、という認識なんですね。
(※セルゲーム編で1日精神と時の部屋に入っていた悟飯は、肉体年齢は18歳になっているはずだけど、とりあえずそれは考慮しない)
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プロフィール
HN:
兄貴ファン or まるこ
性別:
女性
職業:
なんちゃってSE。社畜です…
趣味:
まったり週末ランニング
自己紹介:
学生時代にお勉強させられた英語とかドイツ語とかを活用して、欧州サッカーとかジャパニメーションとか海外オークションとかで、貴重な余暇を非生産的につぶします。
時折走り、まれに勉強します。
2015年夏、乳がん(ステージ1)発症しました。
時折走り、まれに勉強します。
2015年夏、乳がん(ステージ1)発症しました。
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